ロナルド・ドーア著『働くということ−グローバル化と労働の新しい意味』

<紹介書評> 『生活経済政策』2005年8月号(No.103)

ロナルド・ドーア著(石塚 雅彦訳)『働くということ−グローバル化と労働の新しい意味』(中公新書


たどりついてみれば、21世紀初頭の世界は、少なくとも普通の人々にとっては、輝かしいものではなかった。それどころか、今日への幻滅と明日への不安がうずまく暗い閉塞状況こそが、時代の支配的潮流といってよいだろう。

労働の世界でも、残念ながら、悲観の材料にだけは事欠かない。著者は、「20世紀の終わりになると、われわれは週5時間だけ働くようになっているはずだ」という75年前のケインズユートピア的予言が、みごとにはずれたことから筆をおこす。まず、労働時間は彼の予言のごとく短くならなかった。また、今日における雇用機会の配分や労働所得における不平等化の進展も、ケインズの予想外のことであった。

なぜそうなったのか。その原因は、いま先進工業国にほぼ共通の傾向としてあらわれている「競争の激化、それに伴う経営上の優先順位と雇用慣行の変化」にある、と著者はみる。それは1980年代はじめにアングロ・サクソン諸国ではじまり、次第に世界を席巻する潮流となった。これが現在の労働の世界の変容を規定している。労働時間は延長され、労働密度は高まり、報酬システムにおける業績主義化が進み、職場における競争は激化した。同時に、「労働市場流動性謳歌する市場志向の世界観」が労働政策の主流となった結果、労働者保護は後退し、一連の労働市場柔軟化施策が展開され、その帰結として、「機会の不平等」「人生のチャンスの不平等」が増大し、社会の二極分化傾向が現れた。

本書の特徴は、いま労働の世界に生じているこうした変化の背後に、「市場個人主義」という新しいイデオロギーを読み、その批判的検討を通して、産業社会のあり方を考察していることにある。「市場個人主義」とは、著者によれば、効率を支配的な価値とし、それを達成する唯一確実な道である市場競争を重視し、市場における評価が「社会的有用性を決める唯一の確実な基準」と考え、「個人の自由選択」をなによりも重視する考え方である。

「自由」に対して、「平等」と「兄弟的連帯」を重視し、「強者の力を抑制し、弱者の寄る辺なさを保護する」ことに「社会」の意義を認め、労働者保護と社会保障の混合による福祉国家を領導した「20世紀のコンセンサス」は、いまや退場の時を迎えつつあるかにみえる。かわって登場した「市場個人主義」は、「強者の力を解き放ってそれをフルに展開させてこそ、弱者のセーフティーネットをより充実できる」と主張する。

新古典派経済学の制度化に支えられた「アメリカの文化的覇権」と、「市場主義に従わない者に資本の枯渇を約束する金融市場の力」という二つのメカニズムが、同質的な市場個人主義的世界を約束するようにみえる。けれども、これで勝負が決まったというわけではない、と著者はいう。資本主義の多様性には依然大きなものがあり、またどのタイプが優れているかについても決着がついているわけではない。アメリカの文化的覇権にも最近はややかげりがみられる。逆転の可能性がないわけではない。けれども、社会変化の方向はいまだ定かではないというところで本書は終わる。

世の中には2種類の書物がある。答えが書いてあると称して、お説教とご託宣を並べ立てる書物と、答えを探る思考過程を提示し、主題をめぐっての著者との対話へと読者を誘う書物とである。本書は後者に属する。鬼面人を驚かす言説もないし、改革のための処方箋が声高に叫ばれることもない。けれども、「半世紀にわたる社会学者としての一種の回想・総括」として書かれた本書は、労働と社会の未来に関心を持つ者の対話の相手として、まさにふさわしい問題提起の書である。