「景気」という言葉のルーツ

「景気」という言葉は、和歌、連歌俳諧の中で、景色の気配の意味で使われた。たとえば、方丈記に「山中のけいき、折につけて尽くる事なし」とあり、また平家物語巻七では「此島の景気を見給ふに、心も詞も及ばれず」と使われている。その後、転じて、元気・威勢を示したり(「花火が景気よくあがる」)、商売取引の状況をも示すようになった。
この言葉のルーツをさらにさかのぼると、漢詩の語彙に行きつく。次に掲げる、南宋の詩人陸游(1125〜1210年)の「豊歳」と題する詩の冒頭にある「深秋景気粲如春」という句が、漢和辞典などではよく引用されている。「豊歳」は農業社会の好況期に他ならないから、この詩は奇しくも、燦として春の如き景色の気配と、豊年に浮き立つ村人の景気マインドがコラボする様を描いていることになる。

        豊 歳

        陸 游
(1198年秋、故郷<現、浙江省紹興市>での作。74歳。)

豊歳驩声動四隣 (豊歳の驩声 四隣を動<とよも>し)
深秋景気燦如春 (深秋の景気 燦として春の如し)
羊腔酒担争迎婦 (羊腔 酒担 争いて婦を迎え)
竃鼓竜船共賽神 (竃鼓 竜船 共に神に賽<さい>す)
処処喜晴過甲子 (処処 晴れを喜びて 甲子を過ぎ)
家家築屋趁庚申 (家家 屋を築きて 庚申を趁<お>う)
老翁欲伴郷閭酔 (老翁 郷閭の酔いに伴わんと欲し)
先弁長衫紫領巾 (先ず弁ず 長衫 紫領巾)
(読み下し文は、一海知義編『陸游詩選』岩波文庫、による)


Business Cycleの訳語に「景気」をあてた明治の先人はまことに卓見の持主であった。経済は客体的状況と同時に、主体的状況(企業マインド、消費マインド)によっても大きく左右される。それら総体の動き(すなわち「空気」)を読むことが、景気読みに他ならない。

ところで、Business Cycleの意味で、最初に「景気」という言葉を使った人はだれだろうか?

福沢諭吉文明論之概略』(1875)六・一〇に、「其所得をば悉皆金主の利益に帰して商売繁昌の景気を示すものあり」とあるのが、評者が見た限りではもっとも早い時期の用例である。

ただし、福沢が「商売繁昌の景気」という表現を使った背景には、すでに江戸時代末期に下記のような用例があったからだろう。とりたてて、訳語を作ったというよりは、すでに景気動向(あるいは好況)を示す表現があったので、それを使ったまで、という可能性もある。江戸期における市場経済の展開は、このような表現を生むまでに成熟していた、という解釈もできるかもしれない。

・『浮世床』(1813-23)二・下「大分娠さ。霜枯の景気ぢゃアございません」
・『守貞漫稿』(1837-53)四「京師七条の米市も堂島に移す。是を凡て景気或は気配を移すと云」