早矢仕不二夫著、梅崎修・島西智輝・南雲智映編、『戦後労働史研究 早矢仕不二夫オーラルヒストリー』

<書評>
早矢仕不二夫著、梅崎修・島西智輝・南雲智映編、『戦後労働史研究 早矢仕不二夫オーラルヒストリー』、2008年、慶應義塾大学出版会、四六判 368頁、ISBN: 978-4-7664-1479-0
(『日本労働研究雑誌』No.581、2008年12月号)

歴史は、いつも新しい。われわれは過去を変えることはできない。けれども、現在から照射される過去は、日々更新され、異なる相貌を帯びながら、われわれの眼前に立ち現れる。したがって、固定し、確定した過去などは存在しない。現在という時点だからこそ見えてくる過去の新しい顔と対峙することを通じてのみ、いま、ここに生きるわれわれにとって学ぶべき歴史の実像が明らかとなる。そして、そのような不断の営みなしには、われわれは真に歴史に学ぶことはできない。
まさに緊張をはらんだ探求の営みとしての過去との対話は、時代の転換期において、とりわけその重要性を増す。実証的政策研究の新機軸として近年発展しつつあるオーラル・ヒストリーの手法をもって、戦後労働史に新しい照明をあてようとする本書もまた、この分野で、いま、どのようにして歴史に学ぶのかという議論に一石を投ずるものといえよう。

本書の構成と概要
本書は、1947年に日本労働組合総同盟に入局し、1982年に全金同盟を定年退職するまで、常に前線のオルガナイザーとして活躍し、定年後も「生涯現役オルグ」活動を継続している早矢仕不二夫氏のインタビュー記録である。しかし、単なる聞き取り記録ではなく、文字通り、激動の戦後労働史を生きた著者の語る「物語(ヒストリー)戦後労働組合」として編纂されている。だから、本書は単なるインタビューの記録ではなく、後世へのメッセージを込めた早矢仕氏の著書として、世に問われることとなったのであろう。
本書は、ほぼ時系列にそった形で、その時々の早矢仕氏の活動の中心をテーマとしながら、6つの章で構成されている。
まず、「第1章 戦後総同盟の様子と労働運動に入るきっかけ(昭和二十五年ごろまで) 」では、氏の生い立ちと、戦後の労働運動に身を投じてから、総同盟の左右対立を経て、総同盟・全金同盟の再建に参加するまでの時期が語られる。総同盟関係者を通じて戦前の労働組合の経験と伝統が戦後に継承されていくことが、具体的エピソード、人物像を通じて読み取れるところが興味深い。従来からいわれてきたように、金属産業の組合では、このような傾向が顕著だったようだ。また、本書の通奏低音をなす労働運動の左右対立は、この第1章から明確に提示される。
「第2章 東京金属の結成とオルグ活動の日々(昭和二十五年から)」は、本書の中で企業や組合の具体的事例がもっとも多く語られている。そのほとんどは、東京ローカルの中小企業である。本書は当事者のみしか語れない多くの貴重な情報に満ちているが、その白眉はこの章かもしれない。企業の外にある産業別組合が、どのように組織を拡大していったかを、その前線に立つオルガナイザーの体験を通して知ることができる希有の資料である。
続く第3章から第5章までは、時期区分に沿いながらも、テーマ別に早矢仕氏の体験と主張が展開される。
「第3章 労働運動と生産性運動(昭和三十年〜)」は、生産性向上運動への労働組合の取り組み、労使協議制の展開と労使の相互信頼関係など、早矢仕氏が実践してきた労働組合モデルの理念が、具体的な体験を通じて語られる。また、東京都労働委員会での活動や政治活動(江戸川区議への立候補)など、昭和30年代末までの産別役員としてのキャリアも扱う。
「第4章 統一労働協約の展開と地方産別リーダーとしての活動(昭和三十六年以降)」は、1961年に取り組みが開始され、1970年に調印実現にいたる、東京金属の「統一労働協約」を中心に、東京金属における企業を超えた労使関係の形成とその理念が語られる。さらに、前章を受けて、産別役員としてキャリアの後半部として、昭和40年以降、定年退職後の後輩指導の活動までの経験が扱われている。
「第5章 組合民主化運動の展開(昭和四十年〜)」は、総評全国金属との競合をテーマとする。戦後日本の労働運動を特徴付ける何波かの「組合民主化運動」は、さまざまな形で、相当の長きにわたって展開されてきたことを、まさに具体的事実として知ることができる。この章では、「組合民主化運動」の経験を通して、著者の民主的労働組合モデルの理念が語られる。
最後の「第6章 労働戦線統一と次世代プロパーへのメッセージ(昭和五十年代〜)」では現場に根ざし、労働者の目線からものを考え、人間を大事にする社会を作るという労働運動の原点を大切にせよ、という後輩へのメッセージが、本書全体の結びとして述べられる。

若干のコメント

早矢仕氏へのインタビューを実施し、本書の編纂にあたった研究者グループの梅崎修氏は、冒頭の解題の中で、資料として本書を読むためのポイントとして、「(1)労働組合組織拡大の具体的手段」「(2)相互信頼労使関係の思想」「(3)労働組合から見た生産性運動の普及」「統一労働協約への結実」の4点を指摘する。編者の意図にそって本書を読み解くポイントは、この4点にほぼ尽くされているのだろう。
ここでは、本書のこうした定番・正統派の読み方を離れて、評者が「なるほど、そうか」と気付かされたいくつかのポイントを中心に、思いつくまま、コメントを述べてみたい。
第1は、中小企業のオルグ活動の実際に関して、である。第2章で語られている産別組織のオルガナイザーの日常は、きわめて含蓄の深い、多くの事実を記録している。その中で、とりわけ注目されるのは、未組織の事業所・企業に組合を作ることの他に、既存の組合を産別組織に加入させることが、オルガナイザーの重要な活動領域となっていたことである。早矢仕氏が語る昭和20年代末〜30年代のオルグの日常は、ひたすら組合を訪問する日々である。「九時頃に(事務所を)出て十カ所ぐらい回ります」、「名簿を見て中立組合はずっと軒並み回ります。場合によれば、どんな状況かと思って総評の組合にもたまには行きます。」(P.125)。
「既存の組合の産別組織へのオルグ」というきわめてユニークな活動領域の存在は、企業別組合を基本単位とする日本の労働組合の構造の反映でもあろう。しかし、考えてみると、このような活動が成立するには、一定の前提条件が必要である。すなわち、企業や事業所を単位に、内側から、企業を民主化し、労働組合を形成しようとする自然発生的な力が広汎に存在し、かくして結成された既存の組合が豊富に存在すること、これである。もし、そのような自然発生的な組織形成力が弱体化していった場合には、オルグの重点は新規に事業所や企業の労働者を直接組織化する方向にシフトせざるをえないだろう。既存の組合の組織化と新規の組織化の両者の組み合わせは、産業や地域あるいは時期区分によって、どのように変化するのだろうか。また、その規定要因は何か。今後解明が期待される論点のひとつと思われる。
第2は、本書に登場する中小企業とその労使関係上の特質について、である。早矢仕氏は企業籍を持たない職業人としての組合役員であり、一貫して企業を超えた労働組合の組織と機能の充実強化に尽力してきた。統一労働協約の実現は、その輝かしき成果の一部をなす。しかし、企業の外からの働きかけが功を奏するためには、企業内部にそれに呼応する条件が存在することも重要な前提となろう。本書に登場する、産別組合に結集し、統一労働協約などの企業を超えた運動を担っていた中小企業労働組合の多くは、かつての中小企業労使関係研究が、「専門工場型」、「中堅企業型」と名付け、巨大寡占経営の企業内労使関係とは区別される、もうひとつの組合モデル、労使関係モデルとして注目した企業類型に対応する(岡本 1967)。その特徴のひとつとして、企業横断的労働組合志向が相対的に強いという傾向が指摘されていた。早矢仕氏の外からの働きかけに対して、企業別組合は企業の中からどのように応えたのか、両者の織りなす労使関係の特質は、どのように類型化しうるのか。これらの諸点に関し、本書はさまざまな示唆を与えるものではあるが、本格的な解明には企業の中にある組織の経験が、同時に明らかにされる必要がある。幸い、編者たちの研究グループは、今後企業別組合の活動にも研究の視野を広げ、企業類型の違いにも留意しながら、今回のオーラル・ヒストリーの成果を発展させる計画であるという(p.16-17)。読者として、大いに期待したい。
第3は、「相互信頼的労使関係」について、である。本書は、この概念が、総同盟の戦前からの伝統とそれを継承する運動理念に根拠を持つと主張する。日本の労使関係のキー概念をより掘り下げ、豊富化する上で、貴重な問題提起といえよう。とはいえ、高度成長期に定着をみた「相互信頼的労使関係」は、本書の指摘する戦前の伝統も含めて、多くの系統から同時発生的に進化してきたととらえる方が現実的であるように思われる。本書の用語でいう「向こう」や「あちら」(総評系、左)の世界でも、企業内発言装置としては機能的にほぼ等価な労使協議制(事前協議制をも含む)の制度化が進展し、それを基盤とした「相互信頼的労使関係」が形成されていったことは、多くの実証研究が明らかにしている。もちろん、それらは非常に多様な類型として展開し、決して一様なものではなかった。けれども、いずれの類型をもってホンモノとするかは、実は趣味の問題にすぎない。本質的なことは、それがどのような機能を担うのかという一点につきる。表層的な言説ではなく、企業社会の内実に即した理解の上にたてば、「相互信頼的労使関係」の形成には、実は右も左も、「こちら」も「向こう」も関係ない。むしろ、なぜそうなるのかという点にこそ、最大のミステリーがあるように思える。ここにも戦後労働史の解くべき課題があろう。
本書は「向こう」(総評系、全国金属、左)と「こちら」(同盟、全金同盟、右)の間の神々の争いの物語でもあり、後者の神の勝利にいたる福音の書のおもむきを持つ。組織のリーダーを対象としたエリート・オーラルの書としては、このように首尾一貫した主張が貫かれるのはなんら不思議なことではない。むしろ、組織に責任を持つリーダーとして正当なことであるとも思う。けれども、評者は、八百万の神々の平和共存のもとで、自然発生的に進化する常民の制度形成こそが歴史を作っていくとする立場に立つ者なので、本書の強烈なイデオロギー性には、率直にいって面食らうことが多かった。要約やコメントに的外れなところがあったとすれば、ご寛恕を乞う。
最後に、本書をはじめとする近年のオーラル・ヒストリーの膨大な成果を駆使して、戦後労働史の内在的理解を深める多くの研究が現れることを期待して、結びとしたい。<参考文献>
岡本秀昭 1967「労務管理と労使関係」、『日本労働協会雑誌』100号