横書きの句読点表記

赤間先生のブログの<横書きの句読点は「、。」か「,。」か「,.」か>を読んでいて,評者も昔は結構こういうことにこだわりがあり,ワープロの句読点はデフォールトの「、。」を「,.」に変更して使っていたことを思い出した。けれども,評者のまわりでは,横書きでも「、。」を使うのがスタンダードだったので,いちいち変換の手間をかけさせるのも気がひけて,「、。」のデフォールトに戻してしまった。出版社や雑誌で横組みの印刷にする時には,気のきいたところは「,。」か「,.」に変換して版下を作ってくれるので,「、。」を使っていても実質的には問題はなかった。評者の経験した出版物(東洋経済新報社勁草書房東京大学出版会などの横組みの専門書)では,「,.」が多かったように記憶する。
最近,屋名池誠先生(東京女子大学)の『横書き登場―日本語表記の近代』 (岩波新書)という素晴らしい本を読んで,「眼から鱗落ち」体験をした直後だったので,改めて横組みの場合の句読点について考え直してみることにした。昔,ワープロの句読点設定を「,.」にしていたのは,横組なら,英文のカンマ,ピリオドにそろえるの合理的だろうとなんとなく考えていたことによる。けれども,これだと,文章の終わりが何ともすわりが悪い感じはしていた。そこで,あれこれ思案するうちに,評者が読んでいた雑誌の中では,『日本労働研究雑誌』が「,。」を採用していたことを思い出した。これならすわりもいい。赤間先生も「,。」派のようである。そこで,この際,ワープロの句読点設定を「,。」に変更し,このブログの表記もそのように切り替えることとした。
こういう細かいことへのこだわりは本当に大事ですね。屋名池先生,赤間先生,ありがとうございます。


『ウェッジ・インフィ二ティ』の屋名池誠教授インタビュー記事

*上記の,「日本語が縦書きから横書きになるまで(後篇)」の中の次のくだりを読んでいて,屋名池誠先生は本当の学者だな,と思いました。昔,筆者が出入りしていた大学の研究室(東京都立大学社会学社会人類学教室)で,リベラルでインテリジェントな先生方はみんな,こうでした。一人でなんでもやっていました。事務方の人や学生を見下すこともありませんでした。同じ学問共同体の仲間だとみなしていたからです(もっとも,その共同体の中で,そうであるがゆえに,叛乱が起きたのですが)。サービス産業と化し,硬直的ヒエラルキー意識がかえって目立つようになった今の大学とずいぶん違うように思えます。

文献調べでは学生を使ったりはしないんですか。
——全部一人で調べています。文系の学者はだいたい一人で調べていると思いますよ。理科系みたいに学生を使って、というのはないんです。助手もいません。こうしてお茶を出すのも自分です。
 あと、こういうのは人にまかせるとだめなんです。調べるのは大変ですが、調べていくうちにいろんな発見があるもの。自分で現物を見るのはすごく大事。そうした中から仮説が生まれ、その仮説を実証するためにまた調べて、というのが研究の醍醐味なんです。