最初の映画は労働映画だった(補足)
リュミエール兄弟の『工場の出口』は,映画における「演出」のはじまりという点でも注目されてきました。労働映画との関連では,次の記事(抜粋)が興味深い論点を指摘しています。
1.ペドロ・コスタ監督 映画美学校短期集中講義(2004/3/12〜14)
ポルトガルの映画監督ペドロ・コスタ(2010年から東京造形大学客員教授)が2004年に行った短期集中講義の第1日目に次のような指摘があります。
◆講義1(3月12日) 企画・シナリオ論
「フィクションとドキュメンタリー」の冒頭
世界で最初の写真の一つはパリ・コミューンの人々の射殺体を撮影したものだった(ナダールによって撮影されたこの写真はストローブ=ユイレの『アーノルト・シェーンベルクの《映画の一場面のための伴奏音楽》入門』のラスト近くで使われている) 。
では最初の映画とはどういうものだったか思い出してみよう。それは『工場の出口』( リュミエール兄弟)である。
前者は世界を変革しようとして果たせなかった人々の死体を写したものだし、後者は一種の「牢獄」のような場所に閉じこめられた人々がそこから出てくる様子を撮影したものである。映画の起源にこうしたものが存在しているのはとても示唆的である。
ところがリュミエール兄弟は最初に撮影した『工場の出口』に満足しなかった。それというのも工場(リュミエール家の所有だった)から出てくる労働者たちの表情が一様に暗かったからである。そこで彼らは被写体である労働者たちに動き、表情、タイミングなどの指示を与えて、別バージョンを撮影した。これが「演出」の起源である。
しかしこの二度目のバージョンでは、最初のバージョンにあったものが消えてしまっている。そこで失われたものは「恐れ」ではないか。またこうした不快なものを見るのは苦痛かも知れない。しかし目を背けてはならないのだ。
(Contre Champ* 「2004-03-12 ペドロ・コスタ特別講義その1 」
*葛生賢監督のブログです。
2.「映画の扉が開かれる」
万田邦敏(立教大学現代心理学部映像身体学科 教授)
「立教」第209号(2009年4月1日)掲載
この『工場の出口』には、いくつかのバージョンがあるらしく、私はビデオでですが二つのバージョンを見ています。ひとつは、労働者たちがすでに扉が開かれた出口から外に出始めていて、最後の一群が出終わるのに合わせて出口の扉が閉まりかかって終わるもの。もうひとつは、初め工場の出口の扉は閉められていて、それが開かれ、労働者たちが出てきて、最後の一人が出終わると扉がしっかりと閉じられるもの、です。おそらく前者が先に撮影されたもので、後者は先に撮影されたものを見てから、再び撮り直したものではないかと思われます。つまり撮り直しを行った最大のポイントは、扉の開閉がきちんと撮れているかどうかだったのではないかという憶測です。初めに撮影されたものには扉の開閉がうまく撮れていない。せっかく撮るなら、ここは閉められた扉が開き、人々が出てきて、最後にきちんと扉が閉められたほうが面白いのではないか。なぜそのほうが面白いのか、それはよく分からない。しかし、撮り直すべきだ、と。だとすれば、リュミエール兄弟は映画の発明と同時に、映画における「扉」を発見したということになります。閉じられた扉が開かれること、開かれた扉が閉じられること、それは後年の映画、特に映画が物語を語りだしてから何度も繰り返し登場する画面です。日常的な扉の開閉だけでなく、その開閉が映画の中でさまざまな機能や役割を担いつつ、映画の演出をより豊かなものにしていくことになったのです。
以上のような「扉」にまつわる話を、実際の授業ではこんなふうに展開しています。まず一切の前説を抜きにして、学生に扉の開閉が映っているバージョンの『工場の出口』を見せます。そのとき、学生にはまだ「扉」そのものが見えません。扉の画面は確かに見ているはずなのですが、それが「扉」であることを特に意識していないのです。扉に「気付いていない」と言ってもいいでしょう。工場の出口に扉があるのは当たり前だし、それが出口なら扉が開いてその奥から労働者たちが出てくるのは当たり前だからです。しかし、本当はこれは当たり前ではありません。『工場の出口』は、リュミエール兄弟が、ある日の工場の出口の様子を隠しカメラで撮影したドキュメンタリー映像ではないのです。閉じられた扉の奥に、事前に多くの労働者たちを待機させ、「スタート」の掛け声とともに扉を開かせ、人々は出てきて、最後の一人が出きってから扉は閉じられるのです。すべては段取り通りに撮影されたもの、つまり、それはいわゆるヤラセだったはずです。だから扉の開閉は当たり前ではなく、演出です。そのことを告げてからもう一度『工場の出口』を見せると、学生は今度は扉を見ます。しかし、だからどうしたという怪訝な表情をしています。実はこのとき、学生たちは映画の見方のひとつの変化を経験したはずなのですが、本人自身はまだそのことに気付いていません。最初は見えなかった「扉」が2回目には見えたのですから、それは変化です。しかし、その変化の意味が分からないので、だからどうしたと思うのです。しかし重要なのは、見えなかった扉が見えたことで、だからどうしたという「意味」は、あとから考えればいいのです。