大衆文化の中の労働組合イメージ
連合総研『DIO』217号、2007年6月<視点> 大衆文化の中の労働組合イメージ
アカデミー賞の季節が終わるとトニー賞の季節がやってくる。最優秀ミュージカルの栄冠を手にするのはどの作品か?今年のノミネーション発表は5月15日、本番は6月10日。アメリカン・エンタテインメント・ファンには目が離せない1ヶ月である。
トニー賞の特色のひとつは、最優秀リバイバル作品賞があることだ。戦前の作品でも十分現役で活躍しているブロードウェイの息の長さには感心する。アメリカも、まんざら短期成果主義一色で塗りつぶされているわけではないようだ。
昨年の最優秀リバイバル作品賞に輝いたのは「パジャマゲーム」だった。1954年初演のラブコメ・ミュージカルである。1955年にも最優秀賞を受賞したので、リバイバルでふたたび歴史は繰り返した。一度目も喜劇、二度目も喜劇、である。1957年にドリス・デイの主演で映画化され、同じ年に日本でも上映された。前年の「上流社会」「回転木馬」「王様と私」、翌年の「南太平洋」の大当たりほどではなかったが、それなりの評判を呼んだ。けれども、今回はブロードウェイの盛り上がりも日本にまで伝わってこなかったようだ。
ところで、このミュージカル、実は労働組合モノでもある。とある田舎のパジャマ工場に赴任してきたハンサムな工場長が労働組合の女性リーダーと恋に落ちる。けれども、二人の間には「賃上げ要求7セント半」をめぐる労使攻防の壁が立ちはだかる。さて、恋の行方は・・・。おきまりのハッピー・エンドまで、まさに肩肘はらずに楽しめる、典型的な50年代アメリカの娯楽作品である。労働組合モノとはいっても、日本のそれとは全く異なるジャンルに属する。
この当時の日本とアメリカでは、労働組合の組織率はともに3割台でそれほど大きな違いはなかった。けれども、人々の生活の中でのその位置やイメージには相当な開きがあったようだ。日本映画の世界で、労働組合モノ、労働モノといえば、それは「プロレタリア芸術」系のメッセージ映画と相場がきまっていた。例えば、山本薩夫監督の「太陽のない街」(1954)や「ドレイ工場」(1968)といった作品である。そのような雰囲気の日本で、「パジャマゲーム」のようなラブコメを労働組合モノと受け止める人は、ほとんどいなかっただろう。
そして、その後の日本では、左翼メッセージ映画の消滅とともに、労働組合モノ、労働モノというジャンルも絶えてしまった感がある。
一方、アメリカでは、労働組合を描く作品は断続的ではあれ続いているようだ。「ノーマ・レイ」(1979)、「ナイン・トゥ・ファイブ」(1980)という女性映画の傑作は、同時に労働組合の姿を活き活きと描く作品でもあった。
近年では、鉄鋼産業の黒人労働者を描く「鉄鋼の闘い」(1996)、ウォ−ルマートの低賃金労働を告発する「ウォ−ルマート:低価格の高い代償」(2005)のようなドキュメンタリーも作られている。コーネル大学出版からは、戦前から現在までの約350本の労働映画を解説したガイドブックまで出版されている。労働組合勢力の退潮は日本以上に著しいにもかかわらず、アメリカにおける労働組合への一般的関心は、その勢力後退と同一歩調で衰退の一途を辿るばかりとはいえないようだ。
なぜ、このような日米の違いが生まれるのだろうか。おそらく、そこには労使関係や労働組合の社会的性格の差異にとどまらず、労働文化、あるいは広く一般に大衆文化のあり方の違いなど、さまざまな要因が作用していることだろう。とはいえ、日本で労働文化は終焉に向かっているとか、労働組合は大衆の眼前から消え失せつつあるとか決めつけるのは早計だ。映画、演劇、テレビ・ドラマなどに、ごく何気なく登場する労働組合の姿に、これまでわれわれはほとんど関心をはらってこなかったのだ。
気をつけて探してみると、娯楽作品の中に登場する労働組合が皆無なわけではない。古くはマドロス・アクションに登場する海員組合(1957、「鷲と鷹」、井上梅次監督)や、戦後初期の風景の中に、ワンショットで描かれる工場内の集会の様子(1964、「馬鹿が戦車でやってくる」、山田洋次監督)などなど、いくつかの例が思い浮かぶ。最近の映画では、第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞を獲得した「フラガール」(2006、李相日監督)の中で、常磐炭坑の炭労の組合が登場していた。これらを連ねてみると、どのような労働組合のイメージができあがるだろうか。
大上段に構えたメッセージ映画という内側からの発信ではなく、外の目から見た日本の労働組合の姿、とりわけ日常生活の風景に登場する労働組合のイメージが時代とともにどのように変遷し、現在どのような地点にたどり着いているのかは、実はあまりよく分かっていない。この分野の研究は、早稲田大学の篠田徹教授の先駆的研究(「戦後の労働映画」、1999、『生活経済政策』26号;「戦後日本のポップ・カルチャーと労働政治」、1999、同左31号など)によって、すでに先鞭がつけられているが、まだ緒についたばかりという感は否めず、未踏の領域が大きく広がっている。今後の研究の発展が大いに期待される。
労働組合の「衰退か再生か」が厳しく問われている危機の時代にあって、悠長に趣味的なことをいうなと叱責されるかもしれない。けれども、労働組合の存在が普通の人々の目にどのように写っているかを多角的に明らかにすることは、労働組合の自己認識を深め、社会的浸透度、存在感を確かめることにもつながるだろう。そのことは、「未組織の8割に顔を向けた」運動の再構築という組織活性化の重点課題とも、あながち無縁ではなかろうと考える次第である(不)