企業の中に社会の目を

(『DIO』No.230, 2008.09.01)

<視点> 企業の中に社会の目を

「日本の企業はリスクをとっていない、もっとリスクをとって株主に奉仕せよ」という声が、ますます高まりつつある。対日投資促進のためには、多様な展開をみせるM&Aの活発化が不可欠であり、リスクを取ろうとしない企業経営はその最大の阻害要因であるとする主張も根強い。対日投資を呼び込めない現状を改められなければ、「だらしない祖父母のおかげで、20年後には、われわれの孫や曾孫は貧窮のどん底につきおとされ、中国やインドにひたすら助けを求めるしか道がなくなるだろう」という極論を主張する人までいる(フィナンシャルタイムズ、2008/6/13)。
とはいえ、企業には、株主、債権者、顧客、従業員、取引先企業、系列企業、地域社会、政府など多くのステークホルダー(利害関係者)がいる。株主と違って、そのほとんどはリスクなどとれない存在なのだ。リスク・テイキングと同時に、多様なステークホルダーに対して企業がとるべき責任もまた議論されなければならないだろう。ところで、それぞれのステークホルダーの利害を勘案するにあたって、どのような優先順位を考えるかは、回答者の置かれている立場によって一様ではない。
企業経営からみたステークホルダーの優先順位に関する、比較的最近のデータとしては、労働政策研究・研修機構が2005年10月に実施した「企業のコーポレートガバナンスCSR と人事戦略に関する調査」がある。この調査は上場企業を対象に、経営スタンスやCSRに関わる設問については、経営企画担当者にたずねている。企業内での大方の合意を示すとみてよいだろう。その結果によれば、経営側が重視する利害関係者は、「これまで」は「顧客(消費者)」が77.3%、次いで、「従業員」が62.2%、「取引先企業」が39.1%だった。「今後」重視する利害関係者について見ても、「顧客(消費者)」が78.0%ともっとも多く、次いで「従業員」が56.9%と上位の順位は変わらない。しかし、「これまで」と「今後」を比較すると、「機関投資家」が10.7 ポイント上昇し44.0%となり、「個人投資家」が12.9 ポイント上昇し37.1%となっている。経営側が重視する利害関係者は、今後も「顧客(消費者)」や「従業員」で、これまでと変わらないものの、「機関投資家」「個人投資家」の比重は高まっている。株主の声を重視する経営姿勢が今後強まっていくことが確認される結果となった。その後の事態の進展は、この調査の指し示す方向に動いてきたといえるだろう。単に、企業経営の意識の面だけではなく、付加価値の配分における圧倒的な株主重視傾向は、2002年にはじまり、いま終わろうとしている今回の景気拡大過程での企業行動の最大の特徴のひとつであった。 
一方、企業の提供する財やサービスを購入し、地域社会に暮らしている生活者という立場から企業をみたときに、ステークホルダーの優先順位はどうなるだろうか。それを示す代表的なデータのひとつに、経済広報センターによる「生活者の“企業観”に関するアンケート調査」がある。その最新の結果である第11回調査(2008年4月実施)の結果によれば、「企業にとって、今後特に企業が重視すべき関係者」の第1位は「最終消費者(エンドユーザー)」(75.0%)、第2位は「従業員」(74.0%)、第3位は「生活者」(一般国民)(50.0%)、第4位「地域社会」(28.0%)となっている。「個人株主」(15.0%)と「機関投資家」(3.0%)をあわせた「株主」は18.0%の回答率で、「ビジネスユーザー(取引先など)」(26.0%)を下回る。
この調査は、回答者のうち61.5%が就業者(54.3%が雇用者、自営業・自由業は7.2%)、38.5%が就業者以外(無職、専業主婦、学生など)であったが、この設問の回答傾向には就業者とそれ以外でほとんど差がみられなかった。無職、専業主婦、学生など就業者以外の者の多くは、配偶者や親などに生活を依存していると想定されるので、雇用者と利害状況を共有していると考えられる。
最終消費者(エンドユーザー)」重視は、生活者の視点から企業をみた場合には当然の選択といえよう。それは、先にみた企業経営の立場からの「一般顧客」重視と呼応している。違いがみられるのは、「株主」と「従業員」に対する見方である。日本の家計の金融資産構成にしめる株式投資の割合は現在でもごくわずかであり 、ほとんどの生活者は株式市場に直接的な利害関係を持っていない。もっと切実な問題は雇用の安定であろう。したがって、企業は「株主」よりも「従業員」を重視すべきであるという選択になると考えられる。
なお、この調査では、過去にも同様の設問を行っており、選択肢のワーディングが第6回調査で変更になったため、厳密な比較はできないけれども、「従業員」重視の割合は、1999年の第2回調査から2000年の第4回調査までは60%前後だったものが、2001年の第5回調査71.8%と10%ポイント以上の増加となった。第6回調査(2002年)以降では、この傾向がさらに進んで、「従業員」重視の割合が7〜8割となっている。2008年の第11回調査の結果も、このような傾向の延長上にある。
このような「生活者からみた“企業観”」の調査結果の背景には、1990年代における相次ぐリストラの中での雇用不安、所得低迷があるだろう。また、2002年以降の長期景気拡大の過程でも、従業員は一向に報われることはなかった。自分の勤め先での従業員としての利害と、家庭や地域で生活する生活者の利害、というふたつの立場が「生活者」の企業観に反映されていると解釈しても、間違いではないだろう。従業員には、「最終消費者」や「地域社会」に配慮する社会の眼を企業の中に持ち込む可能性がある。従業員を代表して企業内で「発言」する労働組合には、その可能性を現実のものとする大きな役割がある。その役割と責任を果たすことは、今後の日本経済の成長の質を大きく左右するものと思われる。