日本経済の『ロングバケーション』は終わった

(『DIO』No.106, 1997年8月) <視点> 日本経済の『ロングバケーション』は終わった

どうも今年に入ってからのテレビ番組は、ドラマもCMもさえない。定番メニュー的性格が強く、あまり世の中の動きを反映しないNHKの朝ドラ、大河ドラマを除くと、視聴率30%の大台に乗せているドラマはないし、サラリーマンの心の琴線に触れるようなCMコピーもいまのところ現れていないようだ。「もうこんな生活イヤ」という通販生活CMのコピーが国民的共感を呼び、フジテレビの連続ドラマ「ロングバケーション」最終回が視聴率36.7%という久方ぶりのヒットを飛ばした昨年の活気は、いまのところ感じられない。ところで、過去の傾向をみると、流行るドラマやCMの出現頻度は、どうやら景気と逆相関する気味がある。もし、この仮説にして正しければ、足元の景気の腰が相当に強いことが、意外なところから裏付けられることになるのかもしれない。
 閑話休題。今年の『経済白書』は、昨年下期以降、日本経済には民間需要主導による自律回復的循環の様相が次第にはっきりしてきたことを指摘し、底堅い設備投資に主導された今次回復期の好循環は、当面の財政政策面でのマイナス要因によっても腰折れせず、持続することが期待できると展望している。97年度の実質GDP成長率については、いまのところ1%台前半と後半で予測機関の見方が分かれているけれども、1%台後半に上方修正する動きも次第にみられるようになっている。
実は、97年度の財政のマイナス要因は、消費税率引き上げ、特別減税廃止、公共事業抑制などの直接要因に加えて消費税率引き上げ前の駆け込み需要の反動減の影響まで併せると約10兆円強に及ぶとみられている。これは、GDPの約2%強に相当する。このようなマイナス要因を抱えてなお、実質成長率が1.5%前後を伺うとすれば、一過的なマイナス要因を除いた経済の基調は実質3%台の成長軌道に乗っていることになる。振り返ってみると、日本経済は92〜94年度の実質GDPほぼゼロ成長を脱した後は、95年度2.4%、96年度3.0%と、着実な回復過程を歩んできた。足元の景気も今年度の特殊要因を除けば、その延長線上からそれほど外れているわけではないといえよう。
もちろん、雇用面と中小企業における回復の遅れなど懸念材料は多い。金融、財政などの構造問題も解決されたわけではない。それにしても、平成不況にはじまる日本経済の不振は構造的なものであり、かつてのように循環的な要因によって経済が浮上することはもはや期待できないとする、いわゆる「日本経済悲観論」は、足元の景気回復の意外な腰の強さを背景に、最近ではややトーンダウンしてきた。やはり、沈む瀬もあれば浮かぶ瀬もあるというダイナミックな経済のリズムがなくなったわけではない。それどころか、バブル経済の崩壊から平成不況を経て今回の景気回復にいたる日本経済の歩みは、石油危機や円高のような外生的ショックに起因するのではなく、内生的要因に基づく不況とその回復過程という意味では、むしろ典型的な資本主義経済の景気循環といってもよい。
ところで、昨年のヒット作「ロングバケーション」は、いまにして思えば象徴的なテレビ・ドラマであった。話の筋は、なにをやってもうまくいかない失意の時期に直面している男と女の不思議な同棲生活を軸に展開する、他愛のないラブ・コメディーである。それが大受けした背景には、もちろん演出のうまさ、出演者のキャラクターの魅力もあるけれども、意図せざる時代状況との共鳴という要因も大きかったように思われる。ドラマの表題は、木村拓哉扮する主人公のピアニストが、「人生なにをやってもうまくいかないときがあるけれど、それは神様がくれた長い休暇と考えればよいのではないか」と語る名場面に由来する。失意の時期を前向きに、しかし肩肘はらずに受け止める達観が共感をさそった。不景気であまりいいこともないけれど、ものは考えようか、と思った人もきっと多かったに違いない。
さて、昨年6月の最終回で、ドラマの主人公たちが神様のくれた「ロングバケーション」を終えて、人生の次の局面を切り拓いていくという、典型的なハッピー・エンドが放送されていたころに、日本経済もまた長い失意の時期を終えていたようである。日本経済の「ロングバケーション」は終わった。しかし、ドラマとのアナロジーもまたここで終わる。われわれは厳しい経済の現実に立ちかえらねばならない。短期的な回復傾向を、中長期的な発展につなげ、日本経済の新しい局面を切り拓けるかどうかは、これからの経済主体の戦略的選択によって決まる。市場の調整という「神の見えざる手」がハッピー・エンドをもたらしてくれるわけではない。それどころか、むしろ逆にわれわれは「市場の失敗」を念頭に置きつつ、経済的効率と社会的公正の両立に向けて人知を結集すべきだろう。「効率成りて、万骨枯る」類の愚を避ける深謀遠慮の中にこそ、中長期的発展の道筋は展望しうるといわなければならない。日本経済の構造改革の構図を主体的に構築していくための正念場がいま訪れようとしている。