ハルーン・ファロッキ『労働者は工場を去って行く』(1995)



リュミエール兄弟『工場の出口』上映から100年後の1995年に,ドイツのハルーン・ファロッキ監督は,『労働者は工場を去って行く』(Arbeiter verlassen die Fabrik)を世に問いました。この映画は,『工場の出口』へのオマージュともいえる作品で,冒頭と最後,そしてその途中にも,随所に『工場の出口』の映像が引用され,最初の映画が工場の出口にカメラを据えたことの意味,その後の映画がどのようなまなざしを工場の出口に向けてきたかを多面的に考察しています。現代労働映画を考える時,逸してはならない重要作品といえるでしょう。

実は,この作品の冒頭のさわりの部分は,日本語字幕付きのものをYoutubeでみることができます。


また,Harun Farocki, Mario Verandi共同編集による,次の音楽付き短縮版がYoutubeで公開されており,この作品のエッセンスを別の角度から味わうことができます。

Harun Farocki, Mario Verandi共同編集,上記は英語ナレーション版
初演:2005年ベルファスト音響フェスティバル(Sonorities Festival)
その後,2006 Transmedia-Rencontres internationales Paris/Berlinでも再演。


以下は,日本語字幕版からのスチール写真です。






日本ではなかなかみる機会がないファロッキ監督作品ですが,今年に入ってから,恵比寿映像祭2011(2月18〜27日,東京都写真美術館)での「眼差しの系譜 ハルン・ファロッキ特集」,次いでアテネ・フランセでの「ハルーン・ファロッキ監督特集,8月23日〜27日)など,一気に火がついた感じの上映企画が相次いでいます。この勢いに乗って,日本語版のDVD発売も実現するといいのですが・・・。


これから開催予定のファロッキ作品上映会としては,下記の山口情報芸術センターの企画があります。「労働者は工場を去って行く」も含めて,9作品一挙上映,プラス参考上映「アメリカ(階級関係)」(Klassenverhältnisse)(1983-84年/126分,監督:ジャン=マリー・ストローブダニエル・ユイレ)というおまけまでついた,超てんこ盛り豪華版企画です。山口の近くにいる人はなんと幸せなことか。10月下旬は山口に行こう!


ハルーン・ファロッキ特集@山口情報芸術センター
2011年10月21日(金)〜30日(日)
主催:ドイツ文化センター、公益財団法人山口市文化振興財団 企画制作:山口情報芸術センターYCAM
場所・山口情報芸術センター 山口市 中園町


●上映スケジュール/全作品デジタル上映
10月21日(金)13:30「消せない火」14:00「見ての通り」15:30「この世界を覗くー戦争の資料から」19:00「ルーマニア革命ビデオグラム」
10月22日(土)12:10「労働者は工場を去って行く」13:00「静物」15:10「アメリカ(階級関係)」※入場無料
10月23日(日)13:00「監獄の情景」15:10隔てられた戦争16:30「リスクへの挑戦」
10月26日(水)13:30「リスクへの挑戦」15:00「隔てられた戦争」16:30「監獄の情景」
10月27日(木)13:30「静物」15:00「労働者は工場を去って行く」16:00「ルーマニア革命ビデオグラム」
10月28日(金)13:30「この世界を覗くー戦争の資料から」15:00「見ての通り」16:30「消せない火」19:00「アメリカ(階級関係)」※入場無料
10月29日(土)10:30「消せない火」11:00「見ての通り」12:30「この世界を覗くー戦争の資料から」15:00「労働者は工場を去って行く」15:45「ルーマニア革命ビデオグラム」17:40 レクチャー 阿部一直/山口情報芸術センター[YCAM]キュレーター
10月30日(日)10:30「静物」12:00「監獄の情景」13:00「隔てられた戦争」15:30「リスクへの挑戦」17:00「アメリカ(階級関係)」※入場無料


【ファロッキ作品上映特集の解説より】
ハルーン・ファロッキは、映画批評から出発し、社会分析的、またはアクティヴィスト的な視点をラディカルに突き詰めることで、映画/ドキュメンタリー/現代美術といったフレームを越境した、きわめてアクチュアルな現在性を纏った映像作品を制作し続けている作家である。彼の視点は、映像の生産性と価値や機能を、変遷する社会状況の中に見いだし、冷徹なタッチで分析していくソフトモンタージュといった手法に依拠しつつ、映画100年を経た後の映像の存在を追求する。ゴダールが、あくまで静止画(絵画)から動画としての映画論に至る文明史に依拠するとするなら、ファロッキは、最新の軍事テクノロジーによる、リアルタイムの監視とデータ分析といった情報戦争に至るまでの映像の文明史を突きつける作家なのである。非常に多作の作品群の中から、今回は特徴的な9本の映像作品を選定して上映する貴重な機会となる。


ハルーン・ファロッキ Harun Farocki1944年、チェコスロバキア生まれ。1966年よりベルリンのドイツ映画テレビアカデミーベルリンで学び、1974年から84年まで、『Filmkritik』誌で執筆や編集に携わる。これまでに100本以上のテレビ番組や映画を手がけ、90年代半ば以降は美術館やギャラリーでインスタレーションを発表。2004年よりウィーン芸術アカデミーで教鞭をとっている。

年をとっても生産性が落ちるとはかぎらない

NTT労組機関誌『あけぼの』2011年9月号

年をとっても生産性が落ちるとはかぎらない

「高齢者は相対的に生産性が低い」と、しばしば考えられている。しばしばどころか、ほとんど固定観念と言ってもよい。そこで,高齢化にはどうしても暗いイメージがつきまとう。

もちろん、年を取れば、肉体的能力は衰えてくることは否定できない。けれども,一方で,人間関係ヘの配慮やものごとをうまく取り仕切る能力は,経験とともに蓄積されることがよく知られている。それらが肉体的能力の衰えを補って余りあるとすれば,加齢と生産性の関係は必ずしも通説通りになるとは限らない。

ドイツ・マンハイム大学高齢化経済研究所(MEA)の調査チームが最近発表した研究は,この問題に本格的な実証的メスを入れた注目すべき成果の一つである。その結論は,端的に言えば、「年をとっても生産性が落ちるとは限らない」というものである。

高齢化社会には,まだまだ未知の部分が多い。この研究は,根拠のない思い込みで高齢化社会の政策論を進めることの危うさを明らかにしている。今後,実効ある政策のためにも,急速な高齢化が進むモノづくりの国・ニッポンの経験に,新たな照明を当ててみるべきだ。


本文はこちらから →潮流(経済)(2011年9月号).pdf 直



図1 年齢と誤操作の頻度,深刻度に関する回帰分析結果

図2 年齢と深刻度加重誤操作度数
(=生産性指標:値が低いほど生産性が高いことを示す)
の回帰分析結果

出所:Boersch-Supan, A. & Weiss, M.(2011).’Productivity and Age: Evidence from work teams at the assembly line’

最初の映画は労働映画だった(補足)

リュミエール兄弟の『工場の出口』は,映画における「演出」のはじまりという点でも注目されてきました。労働映画との関連では,次の記事(抜粋)が興味深い論点を指摘しています。


1.ペドロ・コスタ監督 映画美学校短期集中講義(2004/3/12〜14)

 ポルトガルの映画監督ペドロ・コスタ(2010年から東京造形大学客員教授)が2004年に行った短期集中講義の第1日目に次のような指摘があります。

◆講義1(3月12日) 企画・シナリオ論
「フィクションとドキュメンタリー」の冒頭

世界で最初の写真の一つはパリ・コミューンの人々の射殺体を撮影したものだった(ナダールによって撮影されたこの写真はストローブ=ユイレの『アーノルト・シェーンベルクの《映画の一場面のための伴奏音楽》入門』のラスト近くで使われている) 。
では最初の映画とはどういうものだったか思い出してみよう。それは『工場の出口』( リュミエール兄弟)である。
前者は世界を変革しようとして果たせなかった人々の死体を写したものだし、後者は一種の「牢獄」のような場所に閉じこめられた人々がそこから出てくる様子を撮影したものである。映画の起源にこうしたものが存在しているのはとても示唆的である。
ところがリュミエール兄弟は最初に撮影した『工場の出口』に満足しなかった。それというのも工場(リュミエール家の所有だった)から出てくる労働者たちの表情が一様に暗かったからである。そこで彼らは被写体である労働者たちに動き、表情、タイミングなどの指示を与えて、別バージョンを撮影した。これが「演出」の起源である。
しかしこの二度目のバージョンでは、最初のバージョンにあったものが消えてしまっている。そこで失われたものは「恐れ」ではないか。またこうした不快なものを見るのは苦痛かも知れない。しかし目を背けてはならないのだ。
(Contre Champ* 「2004-03-12 ペドロ・コスタ特別講義その1
*葛生賢監督のブログです。


2.「映画の扉が開かれる」
万田邦敏(立教大学現代心理学部映像身体学科 教授)
「立教」第209号(2009年4月1日)掲載

この『工場の出口』には、いくつかのバージョンがあるらしく、私はビデオでですが二つのバージョンを見ています。ひとつは、労働者たちがすでに扉が開かれた出口から外に出始めていて、最後の一群が出終わるのに合わせて出口の扉が閉まりかかって終わるもの。もうひとつは、初め工場の出口の扉は閉められていて、それが開かれ、労働者たちが出てきて、最後の一人が出終わると扉がしっかりと閉じられるもの、です。おそらく前者が先に撮影されたもので、後者は先に撮影されたものを見てから、再び撮り直したものではないかと思われます。つまり撮り直しを行った最大のポイントは、扉の開閉がきちんと撮れているかどうかだったのではないかという憶測です。初めに撮影されたものには扉の開閉がうまく撮れていない。せっかく撮るなら、ここは閉められた扉が開き、人々が出てきて、最後にきちんと扉が閉められたほうが面白いのではないか。なぜそのほうが面白いのか、それはよく分からない。しかし、撮り直すべきだ、と。だとすれば、リュミエール兄弟は映画の発明と同時に、映画における「扉」を発見したということになります。閉じられた扉が開かれること、開かれた扉が閉じられること、それは後年の映画、特に映画が物語を語りだしてから何度も繰り返し登場する画面です。日常的な扉の開閉だけでなく、その開閉が映画の中でさまざまな機能や役割を担いつつ、映画の演出をより豊かなものにしていくことになったのです。

以上のような「扉」にまつわる話を、実際の授業ではこんなふうに展開しています。まず一切の前説を抜きにして、学生に扉の開閉が映っているバージョンの『工場の出口』を見せます。そのとき、学生にはまだ「扉」そのものが見えません。扉の画面は確かに見ているはずなのですが、それが「扉」であることを特に意識していないのです。扉に「気付いていない」と言ってもいいでしょう。工場の出口に扉があるのは当たり前だし、それが出口なら扉が開いてその奥から労働者たちが出てくるのは当たり前だからです。しかし、本当はこれは当たり前ではありません。『工場の出口』は、リュミエール兄弟が、ある日の工場の出口の様子を隠しカメラで撮影したドキュメンタリー映像ではないのです。閉じられた扉の奥に、事前に多くの労働者たちを待機させ、「スタート」の掛け声とともに扉を開かせ、人々は出てきて、最後の一人が出きってから扉は閉じられるのです。すべては段取り通りに撮影されたもの、つまり、それはいわゆるヤラセだったはずです。だから扉の開閉は当たり前ではなく、演出です。そのことを告げてからもう一度『工場の出口』を見せると、学生は今度は扉を見ます。しかし、だからどうしたという怪訝な表情をしています。実はこのとき、学生たちは映画の見方のひとつの変化を経験したはずなのですが、本人自身はまだそのことに気付いていません。最初は見えなかった「扉」が2回目には見えたのですから、それは変化です。しかし、その変化の意味が分からないので、だからどうしたと思うのです。しかし重要なのは、見えなかった扉が見えたことで、だからどうしたという「意味」は、あとから考えればいいのです。

最初の映画は労働映画だった


1895年12月28日,パリのグラン・カフェでのシネマトグラフ興業のポスター



映画を最初に発明したのは誰か,については諸説があります。単純に時期の点でいえば,1891年のエジソンによる「キネトスコープ」に軍配があがるでしょう。けれども,これは覗きからくりによる見世物の域を出ていない代物で,今日の映画とはかなりおもむきを異にするものです。

スクリーンに映写された動画を鑑賞するという,今日の形式の映画を発明したという点では,1895年,フランスのリュミエール兄弟による「シネマトグラフ」の発明と,世界で初めての映画興行(12月28日,於・パリ・グラン・カフェ)こそが,映画の誕生を告げるものといえるでしょう。

リュミエール兄弟の映画は,内容の点でもエジソンの作品をはるかに凌駕するものでした。第1に,それは当時のフランスの人々の日常生活を記録したドキュメンタリーであり,第2に,単に被写体をそのまま撮影したのではなく,映画製作者による「演出」が施されている点でも画期的でした。

ところで,リュミエール兄弟による最初の映画は,『工場の出口』(1895年公開,撮影は1894年頃)という作品で,リヨンのリュミエール工場から出てくる労働者の群像を撮影したものです。わずか46秒の超短編ですが,貴重な労働史の資料としてもみることができます。最初の映画は,労働映画*でもあったわけです。

*労働映画の定義については,次のエントリー参照。
  労働映画の操作的定義とその適用




『工場の出口』La Sortie de l'Usine Lumière à Lyon (le Premier Film) (1895)


『工場の出口』には3つのバージョン(「2頭立て馬車」版,「1頭立て馬車」版,「馬車なし」版)があるといわれていますが,そのうちふたつはYoutubeでみつけました。下記のとおりです。

  一番最後に2頭立ての馬車が登場します。

  馬車が登場しないバージョンです。


ちょうどこの頃,染色技術を学ぶためにリヨン大学に留学中で,兄オーギュストと同窓生だった稲畑勝太郎(京都西陣出身)は,リュミエール兄弟の「シネマトグラフ」の機材をさっそく購入し,日本への導入をはかります。稲畑勝太郎による日本ではじめての「シネマトグラフ」興業は,1897年2月15日,大阪南地演舞場で開催されました。活動写真時代の幕開けです。

こうして,世界での映画の開始とほぼ同時にはじまった日本の映画製作ですが,かなり初期のころに,次のような労働映画といえるような作品が作られています。

  1. 足尾銅山大暴動(吉沢商店のカメラマン小西亮撮影)(1907/3/1公開)

→これは間違いなく,最初の労働映画にして労働争議映画。

  1. 天下の電話交換手(1907/4/15公開)
  2. 月給日の快楽(1907/4/20公開)
  3. 紡績会社内部紊乱(1907/7/19公開)


次のような作品も,海外産業事情紹介ですが,労働映画の側面もあるかもしれません。

  1. 世界第一の鉄工所(1906/1/2公開)
  2. 英国スタンフォード州の世界一大鉄工場(1906/9/19公開)
  3. 仏国大鉄工場(1907/5/29公開)

なお、稲畑勝太郎は、大阪南地演舞場での映画興行に先立って、京都電燈株式会社(現、関西電力)中庭で試写実験を行いました。その後、この地(木屋町蛸薬師下ル)には立誠小学校が建設されましたが、現在は廃校となり、旧校舎建物の正面玄関脇には、「映画発祥の地」を示す、次のような京都市の碑文が掲げられています。

日本映画発祥の地
当地は明治三十年(一八九七),実業家であり、後に大阪商工会議所会頭も務めた稲畑(いなばた)勝(かつ)太郎(たろう)(一八六二〜一九四九)が日本で初めて映画(シネマトグラフ)の試写実験に成功した場所である。  明治二十九年(一八九六),万国博覧会の視察と商用でパリを訪れた稲畑は,フランス留学時の級友リュミエール兄弟の発明したシネマトグラフ(映写機兼カメラ)と,その興行権,フィルムを購入し,リュミエール社の映写技師兼カメラマンのコンスタン・ジレルを伴って帰国した。そして翌明治三十年一月下旬から二月上旬にかけての雪の降る夜,京都電燈株式会社の中庭(現在の立誠小学校跡地)で国内初の映画の試写実験に成功した。  映画の上陸は,単にヨーロッパの文化や最新技術を日本に伝えただけでなく,人・もの・事物を記録し伝える映像メディアの始まりであり,新しい娯楽・芸術産業の始まりでもあった。この地を起点にした日本映画は二十世紀を代表する国民娯楽に成長していった。
          京都市

(外国語用日本文) この地は1897年,明治時代の実業家、稲畑勝太郎(1862〜1949)が日本で初めて映画の試写実験に成功した場所である。  1896年,パリ万国博覧会の視察と商用でパリを訪れた稲畑は,シネマトグラフ(映写機兼カメラ)と,その興行権,フィルムを購入し,映写技師兼カメラマンを伴って帰国した。翌年,京都電燈株式会社の中庭(現在地)で国内初の映画の試写実験に成功した。  映画の上陸は,単にヨーロッパの文化や最新技術を日本に伝えただけでなく,人・もの・事物を記録し伝える映像メディアの始まりであり,新しい娯楽・芸術産業の始まりでもあった。この地を起点にした日本映画は二十世紀を代表する国民娯楽に成長していった。
            京都市

初期労働映画4編

Youtubeでみつけた最初期の労働映画4編を紹介します。最小限の見出しだけつけておきましたが,いずれも暫定的なものです。労働史の専門家の詳しい説明がほしいところです。お気づきの点,コメント欄にご記入いただけたら幸甚です。


1.リュミエール兄弟 「働くフランス人」(1895)

Lumiere Brothers - La France qui travaille

1895年に撮影された働くフランス人の姿です。次の7つが収録されています。こんなに古いフィルムなのに,驚くほど画面は鮮明です。


(1)ラ・シオタの造船所

(2)舗道工事をする労働者

(3)農業労働(刈り草干し)

(4)船員の洗濯物取り込み

(5)精錬所(と思われるのですが・・・)

(6)川の洗濯場

(7)石の運搬作業

 *これは「働く馬たち」といった方がよいかもしれません。


2.エジソン 「鍛冶屋」(1893)

1893 Blacksmith Scene


内容はともかく,労働映画の分野でも,やはりエジソンが一歩先んじていますね。


3.エジソン 「床屋」(1893)

1893 The Barbershop


4.リュミエール兄弟 「鍛冶屋」(1895)

Lumiere Brothers "Blacksmith Scene" (1895)

これは非常に貴重な映像です。エジソンの鍛冶屋をみたリュミエール兄弟が,それならこっちでも作ってみようと鍛冶屋を撮影し,しかも一コマ一コマ手書きで着色してカラー映画にしたものです。

「平成23年度社会生活基本調査」を応援します

日本が誇る社会統計調査のひとつ「社会生活基本調査」は,わたしたちが1日の中で,「いつ,どこで,誰と,何を」行なったかを克明に記録し,過去1年間に行なったさまざまな活動についても詳細に調べている,素晴らしい統計です。今年は5年に一度の調査年に当たり,10月に全国で調査が実施されます。

下記に,この調査を応援する一文を書きました。

「平成23年度社会生活基本調査」を応援します
 (統計局ホームページ)

経済社会「新生」への課題

NTT労組機関誌『あけぼの』2011年8月号
経済社会「新生」への課題


「良い暮らし指標(Better Life Index)」は,OECD (経済協力開発機構)創立50周年記念プロジエクトの柱の一つだ。所得,雇用,教育,環境などの幅広い生活分野を対象に,人々の暮らしの質を総合的に計測・比較することをめざす。日本は,総合評価では好評価を得ているが,社会的孤立度の高さという問題も浮かび上がる。「新成長戦略」の策定を受け,注目すべき政策検討の場が相次ぐ中で発生した「東日本大震災」は、これらの政策課題の重要性を再認識させた。日本人が持つ「社会の根底に脈々と流れる強さと冷静さ」を発揮するためには何が必要か。いま一度考える良い機会である。


本文はこちらから →潮流(経済)(2011年8月号).pdf 直