近未来のロボット活用社会

NTT労組機関誌『あけぼの』2012年2月号


近未来のロボット活用社会


年明け早々に封切った矢口史靖監督の『ロボジー』が快進撃を続けている。4週連続で独走していた『ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル』から首位を奪って初登場1位,士・日の二日間だけで観客動員数16万人強の数字を出した。幸先の良いスタートを踏み台に,今年も日本映画にぜひ頑張ってもらいたい。

この映画のタイトルは,「ロボット」プラス「じいさん」の造語。家電メーカーの窓際社員が苦肉の策でロボット博覧会に出品した新開発ロボットは、実はおじいさんが中に入って動かしていたという設定で,ユーモアたっぷりに現代サラリーマン社会の悲哀を描いている。

近年の二足歩行ロボットの開発や,さまざまな生活支援ロボットの製品化などによって,これまではマンガやSFなどバーチャルな世界の住人だったロボットが,次第にりアルな日常生活の中に入り込みつつある。このようなロボットをめぐる現実の変化は,おそらく,映画『ロボジー』のヒットを生み出した大きな背景要因の1つであろう。

とはいえ、少なくとも足元の数字で見る限リ,ロボットのほとんどは工場の中で黙々と製造支援作業に従事している。われわれがイメージするほど,ロボットが身近な現実の中に存在しているわけではない。けれども,これから数十年の間に口ボット産業は様変わりともいえる大きな構造変化を遂げることが予想されている。


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人気ドラマ 主役は「家政婦」

『ひろばユニオン』連載「散策・労働の小径」第2回(2012年2月号)

人気ドラマ 主役は「家政婦」


40%の視聴率を稼いだ人気ドラマ『家政婦のミタ』。この家政婦という職業なぜドラマで多用されるのだろう。いま家政婦として働く人は2万人弱と少ないが、その職業的歴史はどのようなものか。

家政婦なぜ主人公

昨年は久方ぶりにTVドラマが活気づいた1年だった。ここ数年の低迷状況を打ち破って,2本の作品が平均視聴率20%超を達成した。直近のTVドラマ当たり年2007年の4本に次ぐ実績だ。
 まず,4〜6月の『JIN―仁 第二期(完結編)』(TBS)が平均21.3%,最終回26.1%の数字を出した。そして,1年をしめくくる10〜12月には,『家政婦のミタ』(日本TV,主演松嶋菜々子)の快挙があった。

松嶋菜々子11年ぶりの単独主演作,無表情でミステリアスな主人公イメージ,市原悦子の人気シリーズ『家政婦は見た』(83年〜08年,TV朝日)を想起させるタイトルや番宣ポスター(ドアに半身が隠れている家政婦三田のポーズは『家政婦は見た』でおなじみのもの)等々,この作品は放映前から話題の種に事欠かなかった。そして,予想通り初回視聴率19.5%と,木村拓哉主演の『南極大陸』(TBS)22.2%に次ぐ好調なスタートを切った。

実はこの後の展開がすごかった。2回目以降視聴率低迷に陥った『南極大陸』とは対照的に,『家政婦のミタ』の視聴率はうなぎ登りで上昇し,最終回ではなんと40.0%の大台に乗せて,紅白歌合戦の41.6%に僅差でせまるところまで昇りつめた。

想像を絶する過酷な運命に翻弄されて,ほとんど異界の人になってしまった家政婦の三田が崩壊した家族の絆を再生させていく物語は,広範な人々の共感をさそった。心憎いほどドラマのつぼをおさえている巧みな演出もさることながら,作品のテーマが時代の雰囲気と共鳴した結果ともいえるだろう。家族を大切にしたいという思いが高まっているにもかかわらず,現実の家族は液状化ともいえる危機的揺らぎの中にあるからだ。

ところで,この物語の重要な道具立てのひとつに家政婦という職業がある。家庭内に存在する他者としての家事使用人は,いわば家庭のなかに置かれた他者の眼である。多くの文学作品や映画が,この点に着目して,家庭内の物語の語り手,あるいは狂言まわしとして,小間使い,女中,家政婦を登場させてきた。無表情な家政婦の三田が述べる透徹かつ辛辣な家族批判は,他者として家族の内に存在する者による内在的批判だからこそ迫力があったのだ。

家政婦は,必要な時だけ,請負契約にもとづいて家事労働を遂行する。家庭内に常時住み込み,主従関係のもとにしばられている女中に比べて,より独立性が高い。この独立性が,家庭内に客観的・批判的視点を設置して物語の筋を組み立てる上で有効性を発揮する。家政婦モノの一種独特の雰囲気は,この職業の性格によるところが少なくない。


家政婦の歴史

家政婦という職業の源流は大正時代にまで遡る。その背景には当時都市部で深刻化しつつあった女中不足問題がある。

日清・日露戦争期を境に,工業化が本格的に始動した日本の大都市では,女中不足の声が頻繁に聞かれるようになっていた。都市新中間層(サラリーマンの源流)の増加による女中需要増があったにもかかわらず,供給がこれに追いつかなかったからである。その原因は,まず第1に繊維産業に代表される工場労働などの女性にとっての就業機会が増えていったこと,そして第2に,女子労働者の意識面でも,次第に女中奉公の封建的主従関係や主人の横暴を忌避する傾向がみられるようになったこと,である。

大正期に入ると,女中不足問題はますます深刻化していった。この頃に書かれた「現代婦人の悩み」と題するエッセイの中で,婦人運動家の平塚雷鳥は,「産業革命は,今日,遂に私たちの家庭から,<中略>必要な助手である女中というものを,工場の方へ奪ってしまいました」と嘆息している(『婦人公論』1918年1月)。「女中払底」は「お屋敷」を構える上流家庭よりも,新興の都市中間層において深刻な社会問題と化し,当時の婦人雑誌がしばしばとりあげるテーマとなっていた。

こうした女中不足への対応策として,派出婦と呼ばれる臨時の女中を派遣する事業が考案された。1918年,東京四谷の婦人共同会による「派出婦」派遣事業がその嚆矢とされている。その後,派出婦会は大都市を中心に次第に普及し,昭和初年には,東京で約200事業所,大阪,神戸,名古屋,横浜などで20〜30事業所が活動していた。これが家政婦という職業の源流であり,家事サービス職業の主従関係から契約関係への移行,職業としての形成の転機になったといわれる。

派出婦には通勤と住み込みの両形態があり,「料理婦」「裁縫婦」「洗濯婦」「給仕婦」「美容婦」「病産婦付添婦」「雑用婦」などの職種区分があったが,雇用主は通勤よりも住み込みを希望することから大半が住み込みであり,需要の8割は炊事,洗濯,掃除など家事全般をこなす「雑用婦」であった。


消えゆく家政婦

派出婦は家事使用人のイメージを変えるインパクトはあったものの,女中に変わる職業分野に成長することはなかった。1930年国勢調査によれば,家事使用人約70万人中,通勤形態のものは3万人弱で,圧倒的に住み込みが多い。その大半は旧来の女中であった。

1920年代〜40年代の女中数はおよそ60〜70万人程度。これは,女性労働者の6人に1人に該当し,女性労働者の就業分野として,女中は繊維女工に次ぐ大きな比重を占めていた。

戦後期には戦前期の「女中の時代」が本格的終焉を迎え,派出婦にも大きな変化があった。1947年の職業安定法は限られた業務以外の労働者供給事業を禁止し,派出婦会の事業は当初認可対象とならなかった。1951年に派出婦を「家政婦」と名称変更して,有料職業紹介事業が認可された。この時,先行して事業を開始していた「有料看護婦紹介所」の大部分が「有料看護婦家政婦紹介所」の看板を掲げて兼業することとなった。『家政婦のミタ』に登場する「晴海家政婦紹介所」のレトロな雰囲気はこのような歴史的背景に由来する。

テレビドラマの家政婦モノは,この1月から筒井康隆原作のSFホームドラマ家族八景』(TBS)がスタートするなど,あいかわらずジャンルとして衰えをみせない。けれども現実の家政婦はすでに終焉の時を迎えている。2000年国勢調査による家政婦数はわずかに18300人。しかもそのほとんどは家事代行業務ではなく,介護業務に従事している。

これからは,時代設定を過去におくドラマ以外では,家政婦モノは次第にリアリティを失っていくだろう。そう考えると,『任侠ヘルパー』(09年フジTV)の中の黒木メイサの勇姿は時代の先駆けをなすものであったかもしれない。さて,どのような展開になるのか,ドラマ・フリークとしては目が離せないところだ。

幸せとは

NTT労組機関誌『あけぼの』2011年12月号


幸せとは


鋳物の街・川口を舞台とする青春ドラマ『キューポラのある街』の最後の方で、主人公の女子中学生を演じる吉永小百合が、今でもグッとくる決めぜりふを言う。

「一人が五歩進むよりも、十人が一歩ずつでも前に進む方が、だいじなのよ」。

言うまでもなく、幸せは皆の願いだ。けれども、各人がばらばらに、その願いをかなえようとしても、うまくいかない。それは皆で求め、育てるものなのだ。

閣議決定した「新成長戦略〜『元気な日本』復活のシナリオ〜」が、「国民の満足度や幸福度には、所得などの経済的要素だけでなく家族や社会との関わりも大きな影響を持つ」と述ベ、「新しい成長および幸福度について調査研究を推進する」ことを方針に掲げたことを受けて、昨年は「幸福度」をめぐる議論が盛り上がりを見せた。

閣議決定を受けて2010年12月に設置された内閣府「幸福度に関する研究会」は、年間の討議をふまえて中間報告をとりまとめ、「幸福度指標試案」を提起した。そうした中で、1972年以来「国民総幸福量(GNH)」の成長を国家目標に掲げ、近年世界の注目を集めているブータン王国ワンチュク国王夫妻来日は、ブータンへの旅行人気まで高まるというブームを引き起こした。

ところで、「幸福」の増進という目標と、その実現のための「幸福度」の測定という課題は、そう簡単に決着がつきそうもない難問だ。安易な決着は避けるべき、人類社会の永遠のテーマといった方が良い。とは言え、近年の議論と研究の進展の結果として、「幸福」を規定する要素について多くの知見が蓄積され、次第に問題とされるべき領域も明らかになりつつある。

最近の調査の中で、とりわけ注目すべきは、個人の主観的幸福感と社会的絆や友人・知人との人間関係との間に強い相関関係があることを示す、いくつかの結果が得られていることである。



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歌は世につれ労働につれ

「ひろばユニオン」連載「散策・労働の小径」第1回(2012年1月号)


歌は世につれ労働につれ


労働は、誰にとっても身近な営みだ。何も小難しい理屈やお説教の世話になる必要はない。等身大の思考こそがふさわしい。ということで,筆のおもむくままのおしゃべりに,しばしおつきあいのほどを。

アイドル熱唱「労働賛歌

労働にこだわりながら、日常生活の中に時代の空気を読んでいきたい。とはいっても、肩肘張らずに、日常茶飯事、街の話題、ネットの流説、映画,アニメ,テレビドラマ,CM,J−POP,あるいはファッション等々、なんでもあり。あくまで身近な生活の中に、労働の今とこれからを考えるヒントをみつけていきたい。

さて,第1 回はJ −POP に歌われている労働をとりあげよう。「エッ,そんなものあるの?」って声が聞こえそうだけど,あるんだね,これが。もっとも,いささかレアものではあるけれど・・・。

およそ,歌舞音曲,映画,お芝居等々,エンタテインメントの世界で,労働が真正面からとりあげられることはあまりない。労働運動歌,労働モノ映画などが存在はするけれど,これらは普通の娯楽作品とは異なる,やや「構えた」特殊なジャンルに属し,昨今では絶滅危惧種の感もある。

そう考えると,労働とはもっとも縁遠いと思われる中高生アイドルの少女たちが,昨年11月23日の勤労感謝の日にあわせて労働への応援歌をリリースしたのは,ある意味画期的なことだった。ももいろクローバーZ (略して「ももクロ」)の『労働賛歌』である。

11月27日のたった1日だけとはいえ,オリコンシングルチャート・デイリー1 位。リリース後1 週間のCD売り上げ枚数4 万枚は「ももクロ史上最高の初動枚数」だそうだ。

 プロモーションビデオを見ると,半袖半ズボンの省エネスーツ,ネクタイ鉢巻き姿で飛びはねるももクロ5 人組はやたら元気がいい。けれども,何をいっているのやら,歌詞付きバージョンでないと,ちょっとついていくのは難しい。まあ,中高校生の子供たちのことだから,「労働」という言葉に,いまいち実感がわかないんだろうね。

ともあれ,歌詞を紹介しておこう。まず,歌い出し。

♪ 労働のプライドを今こそ歌おうぜ! 全員で叫べば勝てるかもしれないぜ! ドンペリ開けてるセレブじゃねえんだぜ! こちとら働いてナンボだ 労働 For You

そして,エンディング。

♪ 労働の喜びを今こそ歌おうぜ! 全員で叫べば見えるかも知れないぜ! プライドとハートでガッツリ労働  For You & Myself


若者たちへの応援歌

ところで,ももクロ5 人組はシンガーソングライターではないから,『労働賛歌』にはちゃんと仕掛け人がいる。作詞は筋肉少女帯の大槻ケンジ,曲をつけているのはイギリスのロックバンドTHE GO!TEAMのイアン・パートンだ。

知ってしまえば,なあーんだ,ということになる。

反抗を旨とするロック界の,とりわけパンクな人たちが「労働」をテーマにとりあげるのは,何も意外なことではない。現に大槻ケンジにも,初期の作品に『労働者M 』(88年)などがある。けれども,ロックが取り上げるのは,多くの場合,「労働させられる」ことへの反抗や怒りであり,労働を賛美するものではない。

ちなみに,『労働者M 』は次のように歌う。

♪ 「諸君,諸君らに夢はあるかー!? あるなら働けー努力だー!」「お言葉ですが先生! 努力で本当に夢がかないますか? 死んだ恋人が蘇りますか? ・・・

大槻ケンジ君,何か心境の変化があったのだろうか。思えば,バブル崩壊以降の20年余の歳月は,労働の誇りが傷つけられることばかりだった。それでも,挫けるなというメッセージがポップスの世界から発信されてきても,不思議なことではない。聞き手の中には,日々悩み,傷つきながら働いている多くの若者たちがいるのだから。

秋葉原と並ぶオタクの聖地・中野ブロードウェイをバックに登場した個性派アイドル「中野腐女シスターズ」が男装して演じている「腐男塾」(最近「風女シスターズ」「風男塾」に改名)の『勝つんだ』(09年)は,そうした若者たちを勇気づける直球ど真ん中のメッセージソングだ。 

♪ こんなにきつい仕事してんのに 「うぁー 給料 安!」 あー俺って何やってんだろう 久々彼女に電話かけたら 「えー 別れてほしい!?」・・・ 
 今日も一人 賑やかなTV観て 明日も早いから寝よう なんだよ 情けねーな この歳になって 涙が溢れてきやがった

今働くことは,せつなく,つらい,だけど負けるな,勝つんだ,ときわめてわかりやすい展開でたたみかけてくる。グッとくること請け合いだ。


労働ソングにじむ悲哀

実は,職業生活の悲哀というテーマは,J-POP の中にも伏流水のように連綿と流れている。

例えば,バブル絶頂期の89年にリリースされたユニコーンの最初のシングルCD『大迷惑』(作詞・作曲,奥田民生)は,マイホームをやっと手に入れたサラリーマンが,「悪魔のプレゼント 無理矢理3年2 ヶ月の過酷な一人旅」,つまり単身赴任を命じられるという「涙涙の物語」を歌ったものだ。この曲はユニコーンの代表作のひとつで,09年のバンド再結成の際のアンケートによれば,「アラフォー・アラサー」と「若者」の両世代で,ともにユニコーンソング・ランキング第1 位を獲得している。

この頃の奥田民生は,サラリーマン悲哀ものを結構手がけていて,翌90年には『働く男』などの作品をリリースしている。パフィーがカバーした『働く男』が,フジテレビ系列のアニメ『働きマン』(06年)のオープニングテーマになっていたので,ご記憶の方もいるかもしれない。

そういえば,09年2 月〜5月のユニコーン再結成全国ツアーのタイトルは「蘇る勤労」,その後の夏フェスは「日本の夏 勤労の夏」だった。前者は大藪春彦の『蘇る金狼』,後者はCMの「日本の夏 キンチョーの夏」をもじったもの。だから,ここで「勤労」の言葉にあまりこだわっても意味がないけれども,『大迷惑』も『働く男』も,ちゃんと演目の中に入っているところをみると,単なる洒落だけでもなさそうな気もする。

以上,何らかの形で「働くこと」を主題にすえたポップスをとりあげてきたけれど,実はラブソングなどの中でさりげなく表現されている職業生活の種々相の中にも,味わい深いものがたくさんある。

例えば,広瀬香美の『ロマンスの神様』(93 年12月) の歌い出しの一節などは,1990年代初頭に週休増を中心に進展した時間短縮の動きを,時代の気分も含めてみごとに切り取っている。

♪ 週休二日 しかもフレックス 相手はどこにでもいるんだから 今夜飲み会 期待している 友達の友達に

皆さんも,お気に入りの流行歌の中で,ぜひ労働ウォッチングを試みてください。きっと新しい発見,意外な出会いがありますよ。

歌につられて心に浮かぶよしなしごとの数は尽きませんが,今回はこの辺で。

アメリカにおける富裕階層への富の集中について

アメリカにおける富裕階層への富の集中について


                     

[メールマガジン「オルタ」96号(2011.12.20)掲載稿の改訂版]


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 多民族国家アメリカはもともと多様な国であった。極論する人は、天国もあれば地獄もあり、アメリカン・ドリームとスラム街が同時併存する振幅の大きさの中にこそ、アメリカ産業社会の活力が埋め込まれているのだともいう。とはいえ、近年のアメリカでは、そうした多様性も,次第に上層と下層への両極分解の様相を強めつつある。

 勝者の一人勝ちの世界では,アメリカン・ドリームの浮かぶ瀬に乗る機会も極小まで縮小し,所詮それははかない幻想にすぎなかったことが露見してしまう。さらには,社会の安定を支えていたミドルクラスの縮小は,アメリカ経済社会にさまざまなきしみを生じさせてきていることにも注目しなければならない。

 こうした兆候に対して,すでにいまから20年前に,アーサー・シュレジンジャー・ジュニアは「アメリカ合衆国の解体(Disuniting of the United States) 」への懸念を表明し,社会統合の危機を警告していた(Schlesinger 1991)。けれども,アメリカにおける富裕階層への富の集中は,止まらないどころか,ますます加速の度合いを高めている。

 今年の夏から秋にかけて,若者たちを中心に全米に拡大した「ウォール街占拠(OWS)」の抗議行動は,一向に改善しない経済格差問題と,その背後にある強大な金融権力への社会的批判を政治課題の焦点に押し上げはしたものの,政策的対応は今後の課題であり,議論の決着はそう簡単につきそうもない。

 先日発刊されたOECDの報告書『Divided We Stand(拡大する所得格差)』(OECD 2011)が明らかにしているように,いまや所得格差拡大の趨勢は,先陣を切って進んでいたアメリカだけではなく,これまで比較的高い平等度を維持してきたドイツや北欧諸国も含めて,ほぼOECD加盟国全体に広がっている。もちろん日本も例外ではない。

 本稿では,アメリカにおける所得不平等化現象とその背景要因,社会的帰結に関する最近の注目すべき研究と議論を紹介し,あわせて政策的含意についても考察してみたい。


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[file:sfujikazu:income_concentration_in_the_USA.txt]
             

アメリカで広がる所得格差

NTT労組機関誌『あけぼの』2011年11月号

アメリカで広がる所得格差


ニューヨークはアメリカン・ドリームの象徴のような街だ。全米から,そして世界中から,人々は夢を抱いて,この地にやってきた。ニューヨーク在住日本人向けの,あるタウン誌の題名は,ドンずばり『アメリカン・ドリーム(略称:アメ☆ドリ)』(発行部数2万部)。そのキャッチ・コピーには「頑張る日本人を応援します!」とある。

頑張ってつかもうとする夢が大きい分だけ,その実現の確率は低くなる。勝者と敗者の間の落差もまた,大きくならざるをえない。浮かぶ瀬の高さと沈む淵の深さ,光と影が交錯する,振幅の大きなカオスの世界が,ニューヨークの本質だ。

アメリカの縮図のような街ニューヨークでは,経済活動の振幅の幅も,所得と富の格差の大きさも,より増幅してあらわれる。
 たとえば,近年のアメリカにおける所得格差拡大傾向を示す指標としてしばしば用いられる所得上位1%層の所得シェアをみてみよう。財政政策研究所の分析によれば,2007年の上位1%層の所得シェアは,アメリカ全体では23.5%であったのに対し,ニューヨーク市をとると,実に44.0%にも達していた(『ニューヨークにおける所得集中化』,2010年)。

ウォール・ストリート占拠」(Occupy Wall Street)抗議行動グループが,スローガンのひとつに掲げる「99%の声を代表して,金融権力の強欲さを批判する」という意思表明の背景には,このようなニューヨークにおける極端な富と権力の不平等が存在している。

ところで,最近発表されたニューヨーク会計検査院の報告書『ニューヨーク証券業(Securities Industry)に関する年次報告書』 (2011年10月)は,ニューヨークにおける富の集中傾向に,産業という側面から照明をあてている点で興味深い。


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格差拡大と雇用の二極化

NTT労組機関誌『あけぼの』2011年10月号

格差拡大と雇用の二極化


所得分配が平等化するパターンはいくつかのルートが考えられる。

一つは、「貧困の平等」である。誰でもが等しく,平等に貧乏になる。国破れて,山河のみが残り,生活の荒廃が全士を覆うような時期に見られた特殊な状況である。ひもじくはあるけれども,社会には連帯感がみなぎる。けれども,このような状態が持続することは誰も望まない。

もう一つ考えられるのは,「富裕の平等」で,誰でもが金持ちになることによる平等化である。もし実現するなら,反対する人はいないだろう。けれども,経済的資源の本質は希少性にあり,またその総量には限りがあるから,このような状態が実現することはない。
所得の平等化の歴史を振り返ると,結局実現したのは,ふたつの極端なケースの中問であった。極端な金持ちと極度の貧困の両方,あるいは片方が減り,その中間の所得層のシェアが増えることによって平等化が実現したのである。1950年代半ばから70年代半ばにかけて,欧米や日本で見られた「中間層的平準化」は,まさにこのパターンであった。

ところで,この「中間層的平準化」の時代は,1970年代半ばを過ぎると,次第にフェードアウトの様相を呈する。とりわけ,1990年代以降は,アメリカを典型とする「中間層の縮小」が工業国全体の共通のトレンドとなりつつある。

分厚い中間層の存在は,政治的安定と同時に,旺盛な国内消費需要の源泉でもあった。「中間層の縮小」による不平等化の進行は,この安定と繁栄の基盤を揺るがす,まさに憂慮すべき事態と言える。

近年の実証研究は,「現在の不平等化の背後にあるもっとも大きな要因の一つが労働市場の構造変動による雇用の二極化である」ことを明らかにしてきた。ヨーロッパと日本の最近の動向についてみていくこととしよう。




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